2022年の3月、世界で最も歴史と権威のある査読付き雑誌のひとつBMJに一本の記事が載りました。「証拠に基づいた医学という幻想 (The Illusion of Evidence Based Medicine)」という記事です。 ( https://www.bmj.com/content/376/bmj.o702 )
この記事の主張を要約すると「証拠に基づいた医学は、企業の関心、誤った規則、学会の商業化によって歪められてきた」ということです。
例えば、役に立ちそうなジェネリック医薬品が収益性の低さから研究されなかったり、利益に悪影響が出そうな研究が発表されなかったりということがあります。言うまでもなくこれは、医師が患者を診るのに、あるいはどんな人でも薬が買えることにとてつもない影響を及ぼします。実際、このせいで人々は命を落としているのです。
しかし、この有様は薬学会だけのものではありません。
7月にAmerican Economic Journal で発表された論文「なぜ大学の修了率は上昇しているのか (Why have College Completion Rates Increased? )」 ( https://www.aeaweb.org/articles?id=10.1257/app.20200525 ) では、「成績のインフレ」つまり高い成績をみだりに与えることが大学の修了率に及ぼす影響について述べられています。記事によれば、直近10年間における大学の修了率は学生がきちんと学業に励んだためではなく、むしろほとんどの場合は学生を合格させる目的で成績を上乗せしたためです。
これで思い出されるのが2019年の大学贈賄事件です。両親が買収目的で大学当局に多額の現金を贈って卒業試験の成績を引き上げさせ、そのおかげで子供たちはトップ校に入ることができました。(ここで疑問が生じます。それだけのお金を持ちながら、どうして最初から子供たちにもっといい教育を与えてやれなかったのでしょう? ちゃんとした教育を与えるのにお金の力では不充分などということがあり得るのでしょうか?)
他の分野でもまだまだ同じことが言えます。たとえば、気候と数百億ドル規模の「二酸化炭素回収」ビジネスの分野においては、回収されるよりもっと多くの二酸化炭素が排出されます。あるいは、テロや薬物のネットワークに関与するメガバンクの話も。しかし、読者をがっかりさせるのはこの辺にしておきましょう。
その気になればそこらじゅうで同じような傾向を見つけ出せる、と言うにとどめておきましょう。そして、これらの一見全く異なる現象には共通したものがあります。私たちの生きる道のまさに中心にある、モラルの危機です。
倫理というと、日常生活と関係のない理論上のものと思われがちですが、そうするととても根本的な真実を見落とすことになります――倫理がなければ何もうまくいかないのです。
倫理の欠如は組織を官僚主義的にし、進行を妨げます。つまり、資源の「漏れ」と浪費につながり、誤った人々に権力が与えられ、表面的なものが優先されて根本的なものが後回しにされ、何より、どんな社会や組織にも必要な信頼という土台が崩れてしまうのです。
倫理があれば、どれほどひどいシステムも最大限の能力を発揮できます。倫理なしでは、どれほどいいシステムも長続きしません。
この価値は、いつの世も重要であり続け、健康で友好的な社会に欠かせないものです。そこに今起きているのは、もっと儚く表面なものだけの、別の価値への変換です。
例えば、ソーシャルメディアは、幸せな生活を送ることの価値を、幸せな生活に見せかけた誤った価値へ置き換えました。つまり、そこでは、自分がこう在るための努力より、こう見せたいということの方が重要なのです。あるいは、前述の記事にあったように、公正で客観的な調査の価値、わき目もふらず真実のみを目的とした科学から、利益率に関する疑わしい価値へと置き換わってしまうのです。
つまり、倫理とは大変な努力を要する基準なのです。どんな試みにおいても最優先事項でなくてはならず、これを土台にして他のあらゆるものを築き得るのです。もし倫理を二の次にしたなら、倫理は失われます。「半分倫理的である」などといったことはあり得ないのです。
「弊社のパイロットの99パーセントは専門訓練を受けました」と言う航空会社を利用したいと思うでしょうか? もしくは「当院の医師のほとんどは医大を出ています」というのは? しかし、倫理の欠如の行き着く先は、つまりこういうことなのです。そして、もし倫理が消え去れば、信頼もその後を追うでしょう。
倫理的であるということは、天使になる、あるいは間違いをおかさない、ということではありません。倫理的な行動とは何かをいかなる場合でも知っている、ということでもありません。倫理的であるということは、自分の規範に従うために知識面でも能力面でも最善を尽くす、ということです。大事なのは、倫理的に行動するために、自分を偽らず努力することです。しかし、上で挙げたようなケースは、倫理が意識すらされていないことを明白に示しています。
しかし、まだ望みはあります。これらの記事が書かれたという事実は、私たちがまだ社会として倫理を気にかけていることを意味しています。歴史の中には、こうした事が当たり前とされていた時代や場所がありました。
しかし、これは私たちが耳を傾け、反応せねばならない、目覚ましのベルなのです。
原文リンク↓
https://library.acropolis.org/without-ethics-nothing-is-going-to-work/