ニューアクロポリスで、第二回となるオンラインイベントを実施しました。
今回も、参加していただいた皆さまに感謝申し上げます。
前回と同様に、講演の形式で進めさせていただきましたが、経験したことを生かして、質疑応答の時間だけではなく、講演中にも皆さまとの対話の時間を設けるなど、工夫を試みました。
今回は、ギリシアのアテナイの哲学者プラトン(紀元前427年−紀元前347年)の「国家」を中心とした講演です。
哲学とは
「哲学」は英語で「フィロソフィー(Philosophy)」といいます。語源は古代ギリシア語の「フィロソフィア」に由来します。知恵を愛する、愛知という意味です。
知恵とは、人間、自然の法則、宇宙に関する知識。ですが、単なる「情報」と意味は異なり、得た深い知識をもって実生活で実践して、わかることです。その知恵を求めることが哲学です。
魂の三分説、正義について
プラトンは、人間の魂は3つの部分からなり、それぞれは、頭部、胸部、腹部に宿ると考えました。
・理知的部分 知恵をもって魂全体のためにコントロールする仕事。
・気概的部分 上(理知)の支配に従い、その味方になって戦うという仕事。
・欲望的部分 快楽を求める。自分の仕事以上に、上の部分(理知・気概)をもコント ロールしようと試みる。
それぞれが、正しく働くと、知恵、勇気、節制の徳となり、この3つが調和すると正義の徳が生まれると考えます。以上の4つが、ギリシアの四元徳です。
また、個人の正義の定義は、自己に相応しい仕事や職分を果たすこと、他者へ返すこと、としています。
国家
個人・社会・国家について。数多くの個人が、共通の基本的な目標を持った共同体をつくるとき、社会ができます。この共同体が、物理的要求を満たすためだけにしかつくられていないのであれば、個人の集合体でしかなく、個人の利己よりも共同体の超越的目的を優先する統一・調和された知的要素があるのが国家となります。
プラトンは、魂の三分説と同じようなことが国家にもいえ、それぞれの各機能が適切に働いていることが、理想の国家であると考えます。
洞窟の比喩
正義が発揮できる集団枠:社会とは?
洞窟の比喩は、現代の私たちにとっても学ぶことがあります。
洞窟の中は、見せられているものに執着する物理的な世界で、私たちは洞窟の中の囚人である、と解釈できます。
洞窟の外が、明るく、知恵がある理想的な世界です。
外の世界(真実)を知った者は、洞窟の中で鎖に繋がれている仲間に、外の世界を見せて、導くべく行動をとります。プラトンは、それが哲学者で、国家の統治者に相応しいと考えました。しかし、洞窟の中の世界しか知らない囚人たちは、導く者の言うことに疑念を持ち、容易に受け入れないという問題が生じます。
現代、私たちは何を見せられているでしょうか。
参加された皆さんと話した内容をいくつか紹介させていただきます。
・教育での偏差値。こうあるべきと縛られている。
・常識。 例)大学にいかなければいけない。
・人より優位に立ちたいという気持ち。分析すると理由は自分の不安を除去するためでは ないか。
私たちは完璧ではなく、よって社会も完璧ではありません。そして、見せられているものに多くの人は気づいているのでしょうか。自分に正直になって、よく考え、気づくことが大切だと思います。鎖に繋がれたままか、洞窟を出るかは個人の判断になります。
スピーカーによるまとめです。
・魂の三分の機能の違いとその調和:正義。自分の良い部分を伸ばす。
・人それぞれ違う。違う良さをもっている。アインシュタイン「誰もが天才だ。しかし、 魚の能力を木登りで測ったら、魚は一生、自分はだめだと信じて生きることになるだろ う」。
・役割に沿った言動が大切。
・物質主義。何を見せられているのか。その認識とそこからの脱却。
・自分の正義を求め、さらに社会で正義を求める。
日常で、少し立ち止まり、自分に正直になって、自分が好きなことや、本当にやりたいことを思い出してみる。そして自分らしくいられたらいいなと思います。
今回は講演中、また質疑応答でたくさんの発言をいただきました。皆さまと対話の時間が持てたことを嬉しく思います。
また、お目にかかれますように。
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